私が勝手に「三国三大小町」と呼んでいた人たちとのお別れも叶わなかった。某整骨院の受付のFさん、某スーパーのレジのYさん、某薬局の薬剤師のSさんの3人である。絶世の美女という訳でもない……と言っては失礼なのだが、笑顔に何とも言えぬ愛嬌があって、癒され続けた4年間であった。特に、Yさんが、釣り銭とレシートを返す時に上目遣いでこちらを凝視してくるのは、仕事帰りの疲れ果てた男には堪らなかったのである。でも、Fさんは、こちらが引っ越すより前に退職していたようだし、YさんやSさんは勤務のシフトが合わなかったようで、ご尊顔を拝することなく、彼の地を離れることになってしまった。
いずれにしても、三国というところは、余所者を排他することをせず、付かず離れずの距離感で包み込んでくれる、何ともゆるく、そして懐の広い街なのだった。暮らしたのはたった4年だけれども、10年も20年も住み続けたかのような錯誤を覚える、そんな街なのである。だから、今回ほど引っ越しを辛く、淋しいと思ったことがないのだ
詩琳。
明確な故郷を持たない私は、一度も暮らしたことのない岡山県の山奥に長年置いていた本籍地を、結婚を機に、大阪市淀川区に移したのだが、今、これをどうしようかと考えあぐねている。いっそのこと、「大阪府大阪市中央区大阪城1番1号」、つまり大阪城天守閣にでも置こうかとも思ったが、本籍なんて今や運転免許証にも表示されず、形骸化の最たるものであるから、ならば三国の地にいつまでも思いを馳せ、叶うことならいつかまた戻ってきたいという願いを込めて、そのまま置いておこうという結論に達した 。